帰省

30日朝、奥さんは十勝へ。私は二晩続けての飲みが祟ったか、身体が重くて一日ぐずぐずしていた。

31日実家へ帰ろうとするも、わりと気楽にぐずぐずして昼過ぎに家を出たらはまった。大晦日の新幹線でこんなに混んでるのってありか?もうちょっと楽だったはずなのに。Suicaで乗ったので新幹線の自販機が使えなくて、一度改札を出て購入した。少し並んでたけど、全く列が動かなかったので諦めたわけだが、そんなわずかな時間でも2便切符が売り切れた・・・・。結局はじめてグリーン車で帰った。席自体の空間が広く取られており、肘掛けも幅があって素晴らしいぢゃないですか、グリーン車。5000円ほど割高ですが、選択肢としては今後もありだ。

うちへ帰って母さんとすき焼き。名古屋方面は雪でいろいろ大変だった模様などを一頻り聞く。自分が新社会人だった頃、雪の日は確かに大変だったが、時勢だから仕方ないけど今はバスの本数も減ってしまっているから、たまに利用する人が増える局面では大混乱になるわけだな。
紅白やお笑い番組などのチャンネルを変え続けながら、実家で年越し蕎麦を喰らってから寝る。

元日、正月菜と地元では称される小松菜としか思えない物体のみが入っている雑煮を喰らって、昼過ぎ、レンタカー屋へバス移動。ヴィッツを2日間借りて母さんと県営名古屋空港へ。中部国際空港が出来た為利用者数が激減した名古屋空港は閑散としていた。空港内は出迎えなどで少しは動き有るんだけど、この空港からバブル期に社員旅行で海外へ行ってた身としては、時代の流れを痛感させられます。
ここで十勝から40人乗りの小型機で来名した奥さんを出迎えて、そのまま豊川稲荷へ初詣。17時過ぎに到着。豊川稲荷を舐めていた私たちは、混み具合を見誤りました。警察官が列の進行を管理して、一定のペースでお参りできるように完全に管理していた為、とにかく並び、とにかく待つしかない。こんな初詣は生涯はじめてだよ。なんとか無事におみくじ引くのまで済ませてから、いなり寿司を食べる為店に入る。味が濃すぎるわけでもなく、食べやすくてとても美味しいいなり寿司だった。豊川稲荷故に、やはり元祖、ってことですか。
家に戻ったらウィーン・フィルニューイヤーコンサートがやっていた。私はここ数年の何回かしか見てないけど、毎度楽しげな催しと思う。それが終わったらもう寝ちゃった。21時過ぎ? 

翌日は午前中から動いて名古屋ボストン美術館へ。さらーーーっと眺める。色遣いが鮮やかで、全体のバランスもシンプルな蝴蝶辛夷図が一番気に入った。金山総合駅2Fのそば屋で昼食。ここで母親とは別れた。新幹線の切符がとれなくて20時前の席しかないので時間が余った。名古屋城まで足を伸ばして車を止め、近くを歩く。護国神社は何となく感じ悪いので行くだけ行ってなにもせず。外堀通りを越えてすぐに那古野神社があったので、そちらでお札などを貰う。こっちの方が素性がよろしいので。なにしろ須佐之男さんですからね。ついでに東照宮にもいく。べつになんということもないが、徳川さんの気配はします。
その後、猛暑の無惨な思い出とシンクロしている名古屋城天守閣にも上ってみる。地元ながら生涯2回目。今回は非常に寒い中であったが、以前と比べると格段に「外国人観光客」が多い。しかも韓国人と中国人。経済発展なんでしょうか。
天守閣下の休憩所で私は五平餅を(もちろん味噌付ける)。奥さんは八丁味噌ソフトクリーム。どんな凄い味かと思ったら、ものっ凄く馴染んだ八丁味噌の味がした。これ、不思議な食べ物です。確かに甘いソフトクリームなのに味は確かに八丁味噌なんだから。一度お試しあれ。

ガソリンスタンドが休みばかりで探すのに苦労したりもしつつ、名古屋駅近くの営業所に車を返し、あとはいつもの駅地下エスカへ。夕ご飯として串珍の串カツや味噌かつを。美味しいんだけど店が小さくて、地元の飲んべえ爺が幅をきかせていたり、喫煙者が大きな顔をしているのが減点でしょう。つづいて土産物購入。両口屋是清のお菓子を会社の土産にして、残りの待ち時間は喫茶店のリッチで休息。このお店はメニューも店構えも全然なんて事ないのだが、いわゆる喫茶店らしい喫茶店で、追い出されるような気配もなくゆっくり腰を落ち着けていられるのが素晴らしいのだ。
その後、別々のシートしかとれなかった帰りの新幹線はまたしてもグリーン車で。贅沢ですなぁ。2日の22時過ぎに帰宅するという遅い旅程が終了。